ここは保土ヶ谷区の北東、西区との境にある天王町商店街の路地裏です。安藤広重の東海道五十三次の程ヶ谷は、相鉄戦の天王町駅前にある帷子川に架かる橋を描いたものである。
戦前の天王町には従業員数7000人超を誇る「富士紡績」という繊維工場があり、その門前町として栄えたそうだが、昭和20年の空襲で焼け野原となった。アメリカ軍に占領されていた関係もあり、街の復興は戦後4〜5年たって本格化したらしい。今回の物件は恐らくこの時代の名残りなのではないだろうか。
今は営業していない立ち飲みやの奥
「上海飯店」というB級で有名な店が営業中である。写真では見えにくいが、この建物が今回の物件。コインランドリーの看板の路地を奥に進むと、異様な空気感と、時代の澱(よど)みの様な雰囲気に包まれた場所が現れる。注意深く観察すると昔の業務用冷蔵庫や陳列台といったような、3丁目の夕日に出てきそうな商店街の景色が朽ち果てて放置されている。
居るだけで、心臓がキリキリと締め付けられる様な不思議な感覚、哀愁ではない何かが、昭和を知っている我々の年代の人間に、自然と涙をあふれさせる寂しさを醸し出す。こんな空間が残っていて良いのだろうか?
写真では映せないのは残念だが、目を閉じれば、昔の繁栄と、オバチャン達の威勢の良い声が聞こえてくる。信じられない場所が残っていたものだ!
2009.9/28追記
以前は気がつかなかったが、奥の駐車場側の壁面に薄く「日用品市場」の文字が確認出来る。その上には「◯天」これは天王町の略称、正式名称は調査どおり「天王町日用品市場」となる。